昨年より「道元のこころに学ぶ会」という、現役&OBの学校の先生たちによる同好会に誘われて参加させていただいています。
お寺さんでもあまり読まない「正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)」という曹洞宗の開祖道元禅師が書いた曹洞宗のバイブル?のような本を、毎月皆で読み合わせていきます。
相当難しい内容で、文章を理解するだけでもとても時間がかかり、さらに云わんとする核心に行き着くのにかなり労力がいり、最後には皆で自分たちの日常生活に照らし合わせて意見交換をします。
なんともマニアックながら有意義な会であり、年齢や肩書きなど関係なくひとりの人間として誰でも自由に発言でき、誰の声も大切に聞き合うすばらしい会です。
先日、6月の会に出席したときのことです。
ある先生が「真理」と「真実」のちがいについておっしゃっていたことがとても心に響いたのでここに記しておきます。
これはある先生の感じ方なので正解ではないし、そもそも正解などないので、ゆるく読みとっていただけたらうれしいです。ただわたしも夫も感動したお話です。
「真理」とは、真と思われる理念、ものの道理、理論。ふるいにかけて残った正しいと思われること。
「真実」とは、理屈もなにもまるごと、ふるいにもかけずゴミも砂もいっさいを含め、選ばず、ありのまま、あるものをそっくりそのままの全体。
なのではないか、とのお話でした。
いいもわるいも、泣いても、怒っても、笑っても、そのすべてが真実の姿であり、そのすべてをまるごと認めながら生きるのが真実の生活、なのではないか、と発言されました。
自分の中に起こる負の感情も、「真理」には不要かもしれないけれど、「真実」には大切な要素であるようです。
まず自分は真実に生きられているか。
自分の生を全面に肯定し、どんな自分も認め、自分が自分と一致しているかどうか。
人のせいにしていないか。
自分を見つめなおしたいと思いました。
最近、身の回りがめまぐるしく変化していて、状況という円がくるくると回転しているのをとらえようと円のふちを凝視していると目がまわりそうです。
でも、円の中心である「自分」に目線をうつして集中すると、回転の真ん中で風を感じながらリラックスしていることができます。
どんなことがあっても、他人のせいではありません。
正も負もひっくるめて真実に生きることで、そして人とかかわることで円は回転し、自分を見つめることで学びを得るんだなぁと思いました。
道元のこころに学ぶ会の先生たち、みなさんわたしのたわいない言葉も丁寧に汲み取ってくださり、
あたたかい言葉を返してくれて、本当に有意義な会に参加できて幸せだなあと改めて感じました。
出会いも別れも縁。
いい縁をいただき感謝します。
たくさんの縁ある方々に、とても救われて、わたしはここに存在していられるんだなと思います。
今日は硬い文章になってしまいました・・・。
バランスをとるためでもありませんが、昨日のヤンネでの変装写真撮影会での1枚をアップしたいと思います。
10年以上連れ添っている仲間たちとの記念写真です。
いい歳してこんなばかなことをいっしょに楽しめる仲間に感謝です。
たのしいときも困ったときも受けとめ合い、真実の姿に「うんうん」とうなずき合えることの尊さよ!