昨日の地蔵盆をもって、今年の夏の行事もすべて無事に終了することができました。
関わってくださったすべての方々に感謝申し上げます。
今朝はしとしと雨で、心身の熱がクールダウンされ、ひと夏の疲れを癒されるようです。
毎年夏は猛暑のなかお寺の行事に全力を尽くします。
今年はお寺の母が体調をくずしていたため、家族でいつも以上に協力して乗り切りました。
幼かった娘がいっちょ前に役に立つようになっていたり、頼りなかった(?!)夫がどんどん前に立って動いたり、父も老体に鞭打って経験と知恵で導いてくれたり、母も休み休みしながらも気持ちをしっかり持って全体を見渡して指導してくれました。

8月は仏さまやご先祖さまを思い出したり感謝したりする季節。
普段の忙しい現実の生活の中ではつい忘れてしまう向こうの世界ですが、
実は一時たりとも私たちの生きている世界から離れてはいないのではないでしょうか。
夫がよく言うのは、
「法事などでご先祖さまを囲んで親戚一同が集まったりすることで、今生きている自分たちは、自分のいる場所を知るんだよ。ああ、自分はこういうつながりの中で生まれて育てられて、命を今生きているんだな、と。ご先祖さまは命をリレーしてつないでくれただけでなく、なくなった後も何十年も子孫たちをつないでくれているんだよ。」と。
確かに親戚一同が集まる機会って、あんまりないですよね。
しかもそんな大切なご先祖さまを、私たちはつい忘れがちです。
目に見える世界がすべてだと錯覚してしまいます。
だから、こうした大施餓鬼やお盆などの行事は大切なのです。
あ!ご先祖さま!いつもありがとう!!と、思い出して、お供え物をして、手を合わせて感謝するのです。
目に見えない世界に、形あるごはんをお供えして、向こうとこちらをつなぐ。
大切なことです。
普段は殺風景な墓地も、お盆のときは色とりどりな花が供えられ、本当に華やかです。
わたしたちは、どんなに時代が進んでも、傲慢になってはいけませんね。
そんな気持ちになります。

昨日の地蔵盆では、こどもたちが花火をしに来ました。
境内で無邪気に遊ぶこどもたちの隣で、住職がお経を唱えます。
親が子供の健康を願って手を合わせておまいりしています。
その全部を子育て地蔵が見ています。
その上に星がささやかに浮かんでいて、晩夏の夜空が深まっていきます。

暗い夜の境内に、こどもの数だけ花火の灯りがともり、その周りの闇のしずけさが浮き上がります。
それがお地蔵さんのまなざし。
いつもしずかにそこにいて見守ってくれているのが、お地蔵さんのまなざしです。
花火が終わればこどもたちは親に手をひかれておうちへ帰って行きます。
境内は急にひっそりとして、わたしたちは片づけを始めます。
提灯をひとつひとつはずし、電球をはずし、やぐらをばらして、境内は真っ暗になりました。
虫の声はいつの間にか秋の音になっていて、風は少し肌寒くて、耳の奥にこどもたちのにぎやかな声が残っていて、星はまださっきと同じように小さく光っていて、手ぶらで夜空を見上げたら、こころがすーっとしました。
夏の行事を通して現場のいろんなことを学び、家族を思いやる心を知り、目に見えない世界を肌で感じ、こころがあたたかくなり、今自分が生きている場所を足で感じ、手ごたえのあるものをしっかりと体の中に受け取りました。
ヒトという生き物は、ヒトとヒトの関わりの間で「人間」になっていくのかな。
甘えて、甘えられて、
助けて、助けられて、
怒って、許して、
けんかして、仲直りして、
泣いて、笑って、
成長していくのかな。
目に見えないものを見るために、目を閉じるのかな。
今年もまた豊な夏をいただき、感謝します。